板前

どうも! 悩める大学4回生です!     

見ざる 聞かず 言わず🙊🙉🙈

 

ミーンミーン

『あっついな☀️』

セミもうるさく、くそ暑い夏に気がつけば

お互い60過ぎて久々に二人でのんびりと旅行することにった
話せば長くなるけど、ここまでくるのは本当に早かった...
小さいときから、隣にはあいつがいて、小学校にあがってもあいつはいて、中学になるとあいつが、気心の知れた友となり、高校になると、あいつを男として見るようになった
そして、大学になるとあいつから、彼氏になり、気がつけばあいつとの間に子供が3人もできた。

『まさかあいつとなー笑』

小さい頃から、茨城の田舎の方で暮らしてた私と、あいつは年に1回家通し仲も良かったことから、日光東照宮草津に遊びにいっていた
「なんでうちは東京いかないっぺ!?」
と二人でよくボヤいてた

二人とも文句は言うけれど、日光東照宮草津の観光も楽しかった🚆

そういや中2の時、あいつ草津でパンツ履かずに出てきて、見てしまったこともあったな。
お父さん以外で初めて見たのがあいつで、それが最初で最後になるとはね。
まあ立派な一物だったよ🤔
それ以外知らないからかも知れないけどね
フフフ笑

とか言ってるけど、本当に昔家族通しで日光にいくのは私はとても好きだった。
あいつと日光にいくのが好きだった
好きだった‥
なのに‥ どうして‥

そう今年2018年の夏
世間では猛暑と叫ばれていて、テレビでは24時間テレビが「人生を変えてくれた人」とテーマを打ち出してやっている
私の人生を変えてくれた人って誰だろうか?とか考えてみる
あいつしかいない

電車に乗ってる間は平気だったが、日光を見た瞬間涙が溢れた
そうあいつはもう隣にはいないのだ。
去年の暮れ、日光に久しぶりに行く途中あいつは倒れてそのまま帰らぬ人となった。
本当に一瞬の出来事であった
あいつは最後の瞬間も病院ではずっと笑顔だった。
最期には、一言「ありがとうな」といって息をひきとった
あいつらしかった
周りにはたくさんの友人、会社の人たちなど来ていた。昔からお金には恵まれなかったが本当に人には囲まれていた
本当にあったかい人であった

昔よく来ていた草津にもいくことにした。
本当に懐かしい🎐
私は草津にきて、感じた
去年の続きがしたかったわけじゃない
懐かしさを感じたくてきたわけじゃない
ただ、あいつにあいたかったのだ
あいつがいるかもしれないとどこかで思っていたのだ
本当に来てよかったと思えた
やっとあいつと別れを受け入れることができた気がする

あれは、先月の話であった
余命宣告をうけた
あいつがいなくなってからバタバタしていて、病院にいけてなかったが、久しぶりにいくとそう告げられた
告げられてから数日は受け入れられず、今日こうして一人で日光にきてることも考えると、まだ受け入れられていない
このまま受け入れられることができないとも思う
こういう身になってものすごくあいつの凄さを感じる。😮
あいつは、ほんの一瞬で自分の死を受け入れて、最期の最後まで生き抜いた
いや、実は受け入れてはなかったと思う
ただ、周りにそう感じさせないあの人なりの優しさだったのだと思う
本当に最後までいい人だったと今強く思う
私は子どもたちに最期を迎えるとき、笑顔で
ありがとうと言えるだろうか
あの人みたいに最期まで、生き抜くことができるだろうか

考え事を長くしてたせいか、少しのぼせてしまった。♨️
最近こどもたちに年なんだから、長風呂から急に体を冷やすとだめだと怒られる
そんなこどもたちももう子を持つ親だ。
なんて、考えながらのれんをくぐり抜けると、一人の少年が素っ裸でいた

「すみません!」と、少年の親御さんが平謝りしながらきた。
すると、少年は「見ざる! 聞かざる!
言わざる!」🙈🙉🙊
と叫んだ。 
少年と親御さんはそのまま後にしたが、私はものすごく昔のことを思い出した
そう、あいつが中2の夏、素っ裸で現れた時同じセリフを叫んだのだ
私はようやく意味がわかって、笑みが溢れた
そう、あいつの一物は短小で、それをあいつは気にしていたのだ
先程の少年を見るとなかなかの短小だったのかもしれない‥
私は少し笑みをこぼしていたが、そこから腹を抱えて笑った🤭
こんなに腹を抱えて笑ったのはいつ以来だろうってぐらい笑った
笑いと同時にたくさんの涙で溢れた
あの人はどこにいっても私を泣かすし、笑わしてくれる

私をここまで泣かす人があの人しかいないとしたら、私をここまで笑かしてくれる人もまたあの人しかいなかった
私のことを本気で叱ってくれる人があの人なら、私のことをずっと愛してくれた人もあの人だった
私はあの人のおかげで、本当にあの人がいてくれたから‥
私は一人宿で夜な夜な泣いた😭
もうこの先涙が出るのかなってくらいに泣いた

次の日 日光、草津と周り、思い切っきり笑い思い切っきり泣いたからかすごくスッキリとした気分だった
元々帰りは新幹線で帰るつもりだったが、青春18切符で帰ることにした🚋
しかし、行きの私とは全く違う私ではあった
周りからはそう見えないかも知れないけど、絶対にそうだった

私はあの人みたいにかっこいい最期にはできないかもしれない
残り半年で何ができるかはわらかない
もしかしたら半年もないかもしれない
でも、別にいいじゃないか
本当に、本当に今までの人生はあの人のおかげで素晴らしい人生をおくれたのだから
残りの時間は自分らしく背伸びせず、生き抜こう そう思った

日光から帰ってきたあと、息子宅にて集まってもらい、自分の口から、病気のこと、余命宣告を受けたことを話した
子どもたちは去年父親を失い、時間も立つこともなくのことだったので、驚きの方が勝っていただろう😅
各々思いもありながら、私の思いを汲み取ってくれたのか、9月の私の最後になるかもしれない誕生日は日光で行われた
本当に楽しかった
この先またすぐにしんどくなれば、日光にきて、一物は小さくても、中身は大きくて立派なあいつのことを思い出せばいい‼️

私は毎日仏壇の前で語りかけている
2019年の夏は、二人で日光に行きましょうね
待っててねと。


作品タイトル
『見ざる 聞かず 言わざる』

著者 板前